原田マハ著『キネマの神様』


山田洋次監督の『キネマの神様』の完成報告会見が先日行われました。

当初は志村けんさんと菅田将暉さんのW主演ということでしたが、

残念ながらそれは実現することなく…というスタートとなりました。

その後、沢田研二さんが志村けんさんの代役を務めることになったようですね。



この『キネマの神様』。

ここでは映画ではなく原作小説の方を話題にできればと思います。

この本は、筆者が原田マハさんの別の本『星がひとつ欲しいとの祈り』という短編集を読んでハマり、

その後初めて読んだ長編小説なのですがとても良くて。

そこからさらに作家読み(その作家の作品を読み漁ることを指してよく使っている言葉なのですが、

どうやらそんな言葉はないようですね笑)が加速したということで思い入れのあるものなのです。


といっても、かなり前に読んだので、あまり細かい内容は覚えていないのですが、

ただ、ひどく泣きながら読んだことを覚えています。

(思い入れがあると言いながら、記憶が雑ですみません)


あらすじ


39歳独身の歩は突然会社を辞めるが、折しも趣味は映画とギャンブルという父が倒れ、多額の借金が発覚した。

ある日、父が雑誌「映友」に歩の文章を投稿したのをきっかけに歩は編集部に採用され、

ひょんなことから父の映画ブログをスタートさせることに。

“映画の神様”が壊れかけた家族を救う、奇跡の物語。

(「BOOK」データベースより)


せっかくなのでまた近々読み返そうかなと考えているところですが、

今回は、読んだ当時、筆者が思わず書き留めた言葉(会話)をご紹介したいと思います。


言葉の話・第5弾。


「でもさ、私なんてちっちゃいネジのひとつに過ぎなかったんだよねえ」

敗北宣言めいているので我慢してきたが、私は誰かにそんなことを言ってみたかった。

「ええ。抜けて、大きな歯車を止めてしまったネジです」

清音が返した。清々とした声だった。

「たかがネジ一本、何て思ってると痛い目に遭うんだから。

私もネジのひとつとして抜けてやる、って決めたんです」

小ネジの反抗、などと言って笑っている。


会話の力って、すごいなと思うのです。

このやりとり、正直、どういう場面で何を指している内容なのかとか、

全然思い出せないのですが(記憶が雑ですみません(2回目))、

でもこの会話を読むだけで、少し胸が熱くなるような感覚になるのは、私だけではないのではないでしょうか。


「たかがネジ一本」


人間ひとりひとりが持っている力なんてたかが知れていて、

何か思っていることがあっても、意見したくても、ちっぽけなネジの存在なんて誰も気にも留めないし、

小さな声で叫んだって、誰かに届かないことの方が多い。

ましてやそれが物事を動かすことに繋がることなんて、ほとんどないように感じることも多いのでしょう。


でも実は、人知れず、本人も知らず知らずのうちに担っている役割というのは確かにあって。

たくさんの小さなネジが集まってこの世界が動いていて。

一つでも欠ければ、世界の形はきっと少し変わる。

誰もがきっとその一つなんですよね。


最初からあってないような本筋からさらに脱線するようですが、

筆者は昔から社会的マイノリティに関心を抱いています。

現代の世の中は、これまで自分達が抱いていた偏見の理不尽さに人々が気づき始め、

考えを改めていく、ちょうど過渡期にあるように思います。

それこそ、小さなネジの一つ一つが、ちょっとずつ「反抗」してきた成果なのだろうと思うのです。

先日、社会学者・上野千鶴子さんを特集していたテレビ番組を見たばかりなので

より強くそれを連想したのかもしれません。


おわりに


…物語の内容抜きにしても響く会話ですね、ってひどい記事ですが笑、

でも原田マハさんの小説は本当におすすめです。

じっくりじっくりと物語を紡いでいき、その積み重ねの先で、読者の心を強烈に揺さぶって物語をとじていく、

そんな印象を受ける本が多いように思います。

さらりと読めるというよりは、骨太な物語が多いかもしれません。

『キネマの神様』は映画のお話でしたが、原田マハさんは美術にも造詣が深く、

色々な小説の中にもよく美術のことが登場しますので、

そういった方面にご関心のある方はまたさらに面白く読めると思います。